とちぎの百様

あしおどうざんさま

足尾銅山

日本の近代化を支えた殖産興業(しょくさんこうぎょう)のシンボル

“日本一の鉱都”が乗り越えてきた、波乱万丈の歴史を感じてほしい。

 400年の歴史を誇り、かつて“日本一の鉱都”と呼ばれ、大いに栄えた「足尾銅山」といえばわしのこと。日光市足尾町は、渡良瀬川最上流部の山深い場所。川に沿って集落がある、自然豊かなところじゃ。
 
 わしの銅山としての歴史は古く、まさに波乱万丈といっても過言ではない。その全ては一晩あっても語り尽くせるものではないが、今日のところは、かいつまんで説明するので、いろいろ調べてみて欲しい。
 
 わしの全盛期は、江戸時代、徳川幕府の御用銅山となった頃だった。わしから産出された銅は、江戸城、芝の増上寺、日光東照宮などに用いられたんじゃ。江戸時代末期には、廃山同然となっていたところ、明治10年、古河市兵衛によって買収され、わしは再び賑わった。近代的手法で開発することによって、豊かな鉱床を発見したからじゃ。ところが近代化の弊害として、水質汚染や土壌汚染がもたらされた。これがいわゆる「足尾鉱毒事件」じゃ。その後、1973(昭和48)年に閉山してからも、国・県・古河は公害対策を続け、現在も治山事業の一環として緑化活動が行われている。ボランティア団体による植樹も盛んに行なわれ、年々参加者も増加しているお陰で 、荒涼としていた山々にも、徐々に緑が蘇りつつある。栄華と公害による衰退、そして今、自然の力を蘇らせようとする現在の取り組みを含め、これからもわしは、人と自然のあり様について語り続けたいと思う。

インフォメーション

■足尾銅山観光
〒321-1514 栃木県日光市足尾町通洞9-2