とちぎの百様

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たなかしょうぞうさま

田中正造

生涯をかけて足尾鉱毒(あしおこうどく)問題に取り組んだ

命がけの覚悟で“天皇への直訴”を実行したのだ。

 私は、今の佐野市に1841年に生まれた栃木県民であった。明治時代に政治家として活動し、足尾銅山から流出する鉱毒事件を追及。1913(大正2)年に71歳10ヵ月で他界するまで、鉱毒問題の解決に全力を尽くした人生だった。
 
 私を有名にしたのは、“天皇への直訴”であった。鉱毒の被害状況をどれだけ国会で訴えても、政府は富国強兵策などの国の事情もあり、一向に問題にしてくれず解決しなかったんじゃ。そこで私は、明治天皇に直接伝えることを考えたが、当時の社会では、天皇への直訴は許されることではないと考えられていた。命がけの覚悟を決めた私は、議員をやめ、明治34年の国会開会式の日に直訴を実行した。黒の羽織、はかま姿の正装に身を包み、鉱毒による被害の様子を書いた直訴状を高く差し上げながら、明治天皇の乗る馬車めがけて駆け寄ったんじゃ。結果、警備の警官に拘束され、直訴そのものは失敗したが、この事件をきっかけに直訴状の内容は広く知られることになり、政府は鉱毒調査会を作ることになったのだ。
 
 私の生涯かけての取り組みが、時を越え、現代の問題解決のヒントになることもあるかもしれない。関心を持ってもらえたらなら幸いである。